昭和五十三年十月二十七日朝


御理解第37節
生きている間は修行中じゃ、丁度学者が年をとっても眼鏡を掛けて本を読むようなものであろうぞい。


 一生が修行じゃと教えられてあります、確かに私共は、この世に修行をしに、この世に生を受けたと申しても良いわけです。そこで私共がこの世を苦の世、苦の世界に終わらしてはならない、いよいよ有り難い、いよいよ楽しい、勿体ない一生で終りたい、またそう言う願いを持たして頂くと言うのが幸せの第一歩だと思うんです。確かに、この世は苦の世、苦の世界だと、その苦の世、苦の世界を有り難い、楽しい、愉快な生涯であれよと言う神様の、言うなら願いを受けての日々、それを教祖様は修行という風に表現されたんですね、修行していくんですから、益々あか抜けしていく、その有り難いというものが修行ですから、いよいよ完全完璧を目指して行くと言う、ただ苦労と言うだけに終わったんでは、所謂苦の世、苦の世界で終わったんでは相済まんことだし、それではね、あの世が思いやられる、この世は私共が修行をさして頂くために、この世に生を受けたと言うのは、いよいよ魂を清めに生まれて来たんだと言うこと。そこの所の自覚と言うか、そこが分からしてもろうての信心、私共ではわかりません、実際はどういうことが分からないんです。けれどもやはりこの世のただ飲んで食うてチョイトということで終わってんではあまりにも神様の願いに相反することになる、氏子信心してお陰を受けてくれよと言うのは、所謂日々の修行によっていよいよ魂が清まって、しかもその魂がそのまま、魂の世界で喜びの魂、安心の霊としてお陰を頂いていく、そういうことを私共は分からないんだけれども、信じるということ、そしてそれをだんだんそれに確信を得ていくということ、いつも申しますように、「ああやっぱりそうだなあ」と思うんです。私と綾部さんと、信者控え室でお話をさせて頂いておる時に、兎に角綾部さん「私だん、人間はこの世に魂を清めに来とりとですばい」と言う話しをした途端に、あの、控え室はガラスを閉めてありましたから、バーンと跳ね返るような大きなおいさみがありました。「ほうれ、見てみなさい、その通りですよ」と言うて、二人で話し合ったことがあります。分からないんですけれども、そういう一つの実証に触れてまいりますとね、確かに魂をこの世には清めに来ておると、例えばこの世に魂を清めに来ていないにしても、魂を清めると言うことは確かに、こんなにも有り難くなって行くことだし、魂を清めていく言うことはこんなにも幸せを大きくしていくことなんですからね、これだけは間違いが無い、魂を清めていけば清めて行くほど有り難くなってくるんです。その有り難いと言う心には、いやと言うても付いてくるのが人間の幸福の条件なんです。総てなんです。
 この世でも、そういうお陰が所謂和賀心が、いやが上にも本当のものになってくる。言うならば和賀心をいよいよ頂く為に修行、そしてなら、私共が魂の世界に入って、本当にあの世は、50年か70年か80年であったけれども、本当に金光様に御神縁を頂いてもう日々の改まりが第一、信心とは本心の玉を磨くことで本当に一生を終わらして頂いてお陰で段々と魂も清まり、段々心の中に有り難いものだ育ってあの世でもあんなお陰を頂いておったが、あの世ですよこの世のことです。あの世から言うたらそうでしょう、魂の世界から言うたら、あの世でもあの世の幸せでお陰を頂いたが、頂いておってよかった、この魂の清まる、清まりこそがまた味がある、言うなら魂の世界でこの様にも喜びの霊、安心の霊として過ごせるのも、あの世での言うならば、お道の信心、金光様の信心を頂いておったお陰だと、あの世で思えるようなお陰を頂きたい。それにはね、やはり一生が修行、なら一生が修行と言うが何か同じ苦しいことで、ずうと終わっていくといったようなことでは無くて、それこそ、有り難い有り難い修行に変わっていく、徳が身に付き、お陰がいよいよ広がっていくと言うことの喜び、そういう修行なんだ、「丁度学者が眼鏡を掛けて本を読むようなものであろうぞい」と言うのは、勉強すればするほどに学問の世界と言うものは限りが無い、その限りが無い学問の世界をいよいよ極めて行く。言うなら、学問が身に付いてくる、学徳が身に付いてくるということがです。「ああこの年になってから、眼鏡まで掛けてから、本まで読まんならん」という風には思わない、学者は。それなんです。「丁度学者が眼鏡を掛けて本を読むようなものであろうぞい」とあるのです。だから、それはあの世のことですから分かりませんがこの世には、私共は魂を清めに来ているんだと、ね、それが漠然とであっても、それを実行し清めることに精進させて頂いたら確かにそこには精進したら、しただけの世界が開けて来る。身について来る。これがお徳と言うものかと言う、分かってくればくるほどにありがたくなってくる。楽しくなってくる。愉快になってくる。しかも、人間の幸福の条件があれやろ、これやろと足ろうてくる。ね、そしてなら、一生を終わらして頂いて、あちら霊の世界に行ってから、「ああ、あの世でようもようも魂を清める修行をしとってよかったと」言うなら、私共があちらに行ってそれが思えられるような、一応お陰が頂きたい。と言うのですよ。ね。
 昨日、家内が信心実修でおりませんでしたから、今日は茶の間でみなさんと一緒に準備をしておりますからと、言うなら子供達ばっかり、それに久富先生を加えて四人の子供と私と久富先生と六人でお食事をするようにしてあった。何か、大ご馳走があるからかなと思いまして、なかなか大ご馳走がありました。私はそのお食事をさせて頂き、頂く時です、みんなが光昭のお菜にマヨネーズが掛けてあった、そしたら、若先生が言っているんです。「光昭、お前そのマヨネーズのでも頂いたらいけんぞ」と「お前、その生野菜のまま頂かなければいかんそ」と、私はどうしてか知りませんでしたら、腎臓だそうです。だからちょこっと塩気をようけとると、顔が腫れるんでそうです。この頃から一週間ばかり、なんですかその黄疸が出て休んでおりました。何やら最近は。最近、私は本当に有り難いと思うて御礼申し上げおるんですけれども、そのどうぞ私共に掛けられる神様の願いが成就いたしますようにと言うお届けを毎日するんです。もう途端ですね、あの人が色々具合が悪くなったり、子供がどうかあったり、恵美子さんはいつもあの調子で具合が悪いんですけれども、それはね神様の願いが成就しておるんだと思うから有り難いんです、ね、だからそう言うお届けをするようになってからですから、もう間違いない、ですから言うならば神様が修行を求めておられる。また光昭一家のものもそれを修行として受けておることが有り難い。どうぞ私共の上に願いが成就する、願いが成就するためには修行をしなければならん、そこで修行を神様が求めておられる。と言うので私は日々このことは御礼を申さして頂いておりましたけれども、腎臓であると言うことは知りませんでした。昨日食事の時にそれで、掛けてあるマヨネーズはみんなその、他の子供でとってしもうてから、しよりますもん。それで私は申しました、私が糖尿病で甘いものはいかん、辛いものはいかんと言われるけれども何でも有り難く頂いておる、だから「何を頂いても、頂くと言う心あらば障ることない」と仰るから頂くがいいよ、頂いたらいいよと、問題はね、頂くと言う心あらばと言うことなんだよと、お話しをするんです。私はね。
 私共が北京から引き上げて帰って来てからもう大変、言うならば窮乏の生活、もう何も無い無いづくしの中に本当にあの、お粥さんでも食べれればよいほうであって、これが食べ物であろうかと思うような代用食なども頂いてからでの自分のですね、兎に角ね、こうやってお食事が出来ると言うことはもう大変なお陰だよと、めしが食えるとかめしが食えないとかよく言うけれども、めしが食えるということはそれはすばらしい有り難いことだよと、あんた達まだ生活の難しさなんてことは全然知らないけれども、もうそれこそ食べるに食がない、着るに衣がないと言う時代があった。それで私は神様にお願いをしてお粥さん一食の修行に入らして頂いた。そして親やら子供達に例えお粥さんでもよいから腹一杯頂かして頂けるなら、私はお粥さん一食でも厭いませんと願いを立てた。本当にその食べられると言うのは大変な有り難いことだよと、そこで私は食べる資格は無い、着る資格は無いとしてお粥さん一食修行、着る資格が無いと思うたから一年を通して夏服一着で過ごすと言うような修行にならして頂いた。それから段々とそれこそ固い御飯が頂けれるようになり、まあ皆さんの所では三度三度と言いますけれども私の方では二度二度ですよね、もう全部二食ですから、二食の言うならば固い御飯が頂けれるだけではなくてです、たまには山海の珍味であろうかというようなご馳走を頂いてから日々こうやってお陰を頂いておる。これは本当にね今ある人がここに修行に修行と言っても、おられます。住まう所が無いと言うのです。お金が無いと言われるんです。ね、もう何にも無い無いづくじなんです。着物も着たきりそのままなんです。その方の兄弟やらお母さんやらが大変心配されて里の方はしゃんしゃんしてはりますから、けれども今まであまりにも言うならばどういうでしょうかね、まあ里の方の兄さんの嫁さんなんかは言われるそうです。「もうお父さん、この人から騙されちゃならんですよ、一銭もお金は出したらいけませんよ」と言うならば騙し続けてきた訳でしょうね、そして奥さんからも見放され、子供からも見放されもう一切から、その上借金があってどうにも出来ない「今日寝る所も無い」とこう言われるんです。ね、だからどうにもしょうがないんならまあ一日でも二日でもここで食事をよばれてここに、寝るところ無いんだったら寝らせて頂いて、まあよくこれからの生き方を、今までのあなたの生き方ではこの様に行き詰まってしまったんだから、これからそれこそ、限りなく開けていくような道を考えさせて頂こう、それは宗教、信心によってしか出来ないと分かられる為にでも、まあ何日か居られ、まああなたの心がそう言う風に開けるまでお陰頂いたらいいねと、お母さんは最近その為に毎日熱心に参ってこられます。もう八十幾つです。もう本当に親心と言います。私はもう本当にこの親の思いが分かったら親不孝できんと思うですけれどもね。自分は借金をいっぱい持っておるどうにもできない、寝るところも無い、食べる所が無い。それでいて煙草は二箱づつ吸わなくてはならんと、だから本当に例えばその一腕のお粥でも頂けると言うことはこんな素晴らしいことはない。ね、そこで私は昨日子供達にですね、こうして食事が頂けておると言うことはもう大変なことだ、そしてまた自分達、これは私の体験だけれども、食べる資格が無いと思った、なぜかと言えば、親にすら、子供にすら満足な食事が与えられんのだから、私が食べる資格が無いと言うのはそういうことから、ね、今でもそう食べる資格が無い、着る資格が無い私が食べさせて頂いておると言うことが勿体ない、食べる資格が無い者が今このようなお物を頂いております。着る資格の無い者がこういう素晴らしい着物を着せて頂いております。光昭、この気持ちで頂いたら何を頂いても、食べてもいいよ、それが本当の頂くと言うことだよと言うて昨日話しました。頂くと言う心在れば障ることはないと仰る。ね、だからただ頂きますだけではいかん、障ることの無い程の頂かたをせなならん、それには着る資格が無ければ、食べる資格の無い私が今ここに食卓に上っておる食事を頂かして頂いておると言うことはなんと勿体ないことであろうか、もうそこには不平も不足も、甘いの辛いのは言えない、ね。食べる資格の無い私、着る資格のない私、こういう心持ちになると人間が随分謙虚になります。「働いて儲けちから、俺が買うてち来たとば、俺が着てから、俺が食べているんだ」と言う所に喜びも何もありません。
 昨日はこの三山兄弟、三山先生のお母さんが亡くなられて昨日三十日祭。あちらの京都の方でも五時半から三十日祭が行われると言うことで、兄弟が寄り話し合ってそして四時の御祈念に併せて神様に御礼を申さして頂きたい。御霊様にもまあ、なけなしの金を出し合って色々と大ご馳走を作ってお供えをしてからのまあ、三十日の帰幽祭を私奉仕さして頂いた。そんなことでお下がりのご馳走があったから昨日は私ども子供と一緒に食事をしたにもそんなことからだったんですけれども、私は本当にこの素晴らしいことだと思ったことは、昼そのお届けに来ました時には、ここにもう一ヶ月経たん内から手紙が一杯たまりますから、それを全部整理させて頂いておった。整理しておるうちに三山先生が京都に帰ってからすぐ出した手紙もこんなかに入っておった、ただ整理しているのですから、いるのといらんのと、こうより分けるだけですけれどもしきりにそれが読みたいと思った。だからそれを丁度開けて読んで丁度お母さんの安らかなお国替えの様子を細やかに書いておる所を読んでおる所に兄弟がやって来てから今日が三十日、本当生き生きと御霊様の何か働きをそこに感じる思いがいたしました。いやあそうじゃったのかと手紙を見せて、今ここの所を読みよった所だよと、それでささやかなことですけれども、母が生前好きだったものを今から作らせて頂きますと、それで夜の御祈念に合わせてと言うことでございました。それでその、神様にお願いをしてそれからあの御霊様のお祭りにかからして頂きましたら、頂くことがすぐに、鮎を塩焼きにしてあるんですね、その塩焼きにキズではないミカンです、ミカンの青い実ですそれを二つに切ってね絞っておる所にね。私はだいたいキズがいいですけどね。昨日私が御神眼に頂いたのはミカンの青い固いのを二つに切って絞っておる所。これは皆さんご承知の通り、鮎はミカン類の酢で頂いたら風味も鮎の味もまた一際ですわね。だから鮎というのは愛であろうと私は思った、親の愛なんです、子供を思う愛の心なんです。ね、二人の子供達の上に掛けられる親の愛なんです。ね、その鮎に子供達がなけなしの金を出し合って、そして真心を絞って言うならば鮎にかける、その鮎の味が一段とおいしいものになったと言うことだと思いました。霊様の喜び、またはそれを絞らして頂く子供達の喜び、ミカンと言うことは合楽の言うならばあれを二つに切ると菊の花のようになる、菊の花は合楽の信心のシンボルのように言われる花である。その菊の花がです、まだそれこそ青い、青い実である、二人まだ修行中なのである。親の愛というものはどうぞ、合楽での信心修行が成就いたしますようにという思いが、願いが掛けられておるのである。その青い二人の子供達がね、鮎に思いを絞って親の愛との交流をはかったのが昨日の昨日の孫祭りだったんだと私は思うんです。だから私昨日洋一君に丁度お母さんのことを書いておる、もし私どもに合楽が無ければどういう風になっておったか分からない私ども兄弟のことを細々と信心を頂いておった、合楽の信心を頂いたおった、言うならまだ青いミカンではあるけれどもその青いミカンを言うなら菊の花の信心を目指して修行さして頂いておらなければどういうことになっておっただろうかと言うようなことがめんめんと書いておったから、「洋一君これをあんたにあげるから時々この頁を開けて見なさい」と言ってから、昨日やったことです。そしてこの青いミカンが本当に成就するお陰を頂くということが親を、親に喜んで頂くことであり、親の願いに答えることでもあるんだよ、いう訳です。信心をさして頂きますと、例えば親なら親に対してでもです、この親に、それこそ親が生身にカンナを掛けるような思いで修行しておるのに子供達はそう言う中にあっても、まだ煙草二十本吸まなければならんとは、とてもとてもそう言う風ではお陰頂ける筈がない。それこそ本当に飲む資格も無ければ、食べる資格もない、いや着る資格さえ無いと言う自分というものを見極めてそしてこれから先は神様の言うならお陰で食べる資格も無い私が食べさせて頂いておるんだと言う生き方がいよいよ垢抜けして来るような修行を私は一生続けたいと思うです。これならもうかならず養生するです。勿体ないお陰を現れてくるです。食べれて当たり前、飲めて当たり前、人間だから、当然のことだとね、というような考え方の中から生まれてくる修行というものはそれは本当の修行じゃ無いと思うです。ね、お陰を頂く、頂いたらもうそこに胡座をかいてしまう、なら私今日この様なお陰を頂いておりましても、飲む資格も無ければ食べる資格も無い私が飲ませて頂いて、食べさせて頂いておるのだから有り難い。その有り難いと言う心が神様頂きますと言う心在らばと、障ることないと言うお陰を頂いておるから私は糖尿病でも障らないお陰を頂いておるんです。だから柏手して頂きますだけではいかん食べる資格が無い、飲む資格が無い、だから自分から求めて食べよう、飲もうという様な考え方を先ずいっぺんかなぐり捨てるような修行が先ずはいるんではないだろうか。ね、そこから与えられるもの、高橋正雄の縄帯時代というのがありますね自分は食べる資格が無い、それで着る資格も無い、それこそ黒衣の上にもうそれこそ縄帯を締めて、よその言うなら道を清掃したり、どぶざらいを一生懸命される、所がです、昼頃ともなるとその家からどうぞ入って下さいと、お茶一杯頂いて下さいと、そんならお食事も頂いて下さいというふうに出される。所謂先生が生かされて生きておるんだと言うことを本当に悟られたというのはそう言うときだったと言われております。食べんといっても食べさせずにおかんと言う働きがこの世にあるというのがその時代だと言われております。自分が食べよるのではない、食べさせて頂いて居る。自分が生きているんじゃない生かされているんだ、だから食べる資格が無いと食べんのがおればそこに食べさせずにはおかんと言う働きが生まれてくる、だから食べる資格の無い私が食べておることを有り難いと思う。初めて本当の意味で頂きますということになる。そういう頂きますならば障ることはないと仰るんですから。ね、「頂きますと頂いたばってん、障ったと」食べ過ぎた、飲み過ぎたとしてから、そして明くる日は具合が悪かった、こんな御粗末な御無礼なことは無いですよね。本当に食べる資格の無い、飲む資格も無い、着る資格も無い、そこから私は頂けてくる信心ならばね、いよいよ与えずにはおかんという働きの中に浸らして頂いてこんなお陰が頂ける、こんなお陰の頂ける資格の無い私がこういうお陰の中に浸っておるということは、なんと有り難い勿体ないことであろうかということになってきたいよいよ修行が、所謂学者が眼鏡を掛けて本を読むようなものであろうぞいと教えられる様な信心者がもういくら年を取ってもね、御神愛有り難し御神願有り難しでそれを合掌して受けていく修行をするようなものであろうぞいと自分で思える様な修行をさせて頂きたい。ね、そういう修行が一生続けられる。ね、いよいよ魂は清まりに清まり限りない美しい心の状態に限りないお陰が約束される、ね、そして私どもがあの世に行ってあの世からです、あの世から、「あの世におる時にようも金光様の御信心頂いておってよかった、合楽に御神縁頂いておってよかった」と言うようなお陰を頂いて頂きたいと思うんですね、どうぞ。